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🟢終戦の日に嶺北忠霊塔で思う、僕たちのために命を懸けてくれた先人たちのこと、日本のこと🟢

思いや理念

今日は令和5年8月15日。
先の大戦で日本が、イギリス・アメリカ合衆国・中華民国の政府連盟による「ポツダム宣言」を受諾し、天皇陛下の玉音放送が流れた日からちょうど78年の日になります。

今日、僕は三輪のひまわりを買った後、当時玉音放送が流れた正午ちょうどに25,165人の戦没者を祀る「嶺北忠霊塔」(福井県鯖江市水落町)の前に立ち、静かに手を合わせてきました。

台風前のどんよりした雲が広がる空のもと、僕らと違って台風のことなど気にせず全力で活動をする蝉たちの鳴き声が「ジリリリリ」と忠霊場には響き渡っていました。

「あぁ、78年前のこの瞬間も、きっとこんな蝉の鳴き声の中で日本国民は、耐え難きを耐え 忍び難きを忍んでいたんだろうな」

などと思いながら、数分の間にそこで感じられる感覚を思いっきり感じ、
「ありがとう」
を伝えてきました。

この瞬間に嶺北忠霊塔前にいたのは僕と、少し足を引きずっているお年を召した女性が一人だけ。

たまたま居合わせた二人で正午から数分手を合わせ終えた後に、僕はどうしても尋ねたくなって女性に声をかけてしまいました。

「ここに親しい人が眠られているのですか」

女性は数秒の間を置いて
「私のお父さんがいるんです。戦地へ行って、あっという間に亡くなってしまったらしくて。」
と答えてくれました。

僕が
「お母さんがおいくつのときに亡くなってしまったのですか」
と続けると、女性は
「三つ」
と返してくれました。

僕は
「そっか、うちの息子とほとんど同じくらいの歳の子どもを残して、戦地に赴き、そして我が子の成長を見届けられずに命を落としたのか」
となんとも言えないもやもやした気持ちが涙になって込み上げてきてしまい、必死に抑えました。

その女性は続けて、
「3年前までは東京の戦没者追悼式に行っていたけれど、もう足も悪くなって行けなくなったから、ここで祈っているんです」
と言っていました。

終戦間際に幼子でまだ記憶も曖昧だった世代の人が、遠出が難しくなるくらい身体が厳しくなってきている。
あの大戦を経験してきた人は、本当にもういなくなりかかっているんだなと、説明し難い危機意識も持ちました。

「僕はなぜ生きるか。」
この問いに対して僕は普段なら
「人はみんな自分自身が幸せになるために生きるんだ」
と答えます。

それ自体は間違っていないと思うけれど、改めて先人たちが経験してきた壮絶な現実に思いを馳せると、
「すべての先人たちの思いを継ぎ、次の時代の子どもたちに渡し、過去よりちょっとだけマシな今をつくり、死んでいくため」
と思わざるをえません。

先の大戦。
(僕はあえてここで、世間一般で最も使われている表現でなくてこのような表記で書いています。それは、実はその呼び方一つで特定の側の目線が入ったり非常にややこしくなるから。そういうの抜きにこの文章を読んでほしいから。)
一つ間違いないことは、そこで日本は、戦争という意味では敗戦国となりました。

では、当時の日本は間違っていたのか。
僕はそうは思わない。

では、当時の日本は正しかったのか。
僕はそうも思わない。

少なくとも今僕は日本という国が好きだし、それは戦後からの日本が好きとかそういう次元でなくて、この国がもっと前から積み重ねてきた在り方そのものが好きだ。
(だからといって他の国を比較して下に見ているような考えでないことはあえて付け加えておきます。)

各国の教科書にどのように書かれているかは別にして、
そもそもこんな今の時代だけを生きている僕たちが、
当時の先人たちが未来の僕らのことを精一杯考えて行動してきてくれたことを軽々に
「正しかった」
「間違っていた」
などと偉そうに上から評価を下すべきでないと僕は思います。

特に先の大戦に関しては
日本の真珠湾攻撃は…
特攻は…
アメリカの原爆投下は…
など、「正しかった」「間違っていた」などの非常に激しいイデオロギー対立になる事項が多すぎます。だから話が進まなくなる。

あえて言えば、僕はどれも正しくも間違ってもいなくて、
ただ当時の先人たちがひたすらに「守りたい誰かを守る」ために必死こいて動いた結果でしかないと思っています。

だから僕らがまずすべきことは感謝。
命を懸けてまで僕らの未来を想い生きてくれてありがとうございました。

その上で、これから僕らがすべきことは
この時こうなって、こう判断して、結果こうなった
という「事実」をもっともっともっと知ること、学ぶこと。そこに正しいとか間違いとかの「判断」を持ち込まず。
もっと学びたい。

知っている歴史が多ければ、未来を幾分かマシにできるかもしれないから。

ただ現実の今の外交上は、当然各国がそれぞれの立場をもった駆け引きとなっています。
そこで一方的な主張が展開されるなら、そこは絶対に退かずに徹底的に反論しなければいけない。主張しなければいけない。未来の日本の子どもたちのために。

さらに現実の安全保障上は、他国が武器を持つなら、日本も武器を持っておかなければいけない。
日本がもし明日全ての武器を捨てて丸腰になったら、間違いなく、即やられます。日本が日本でなくなります。
残念ながら世界警察はいない。反則をきちんと取り締まってくれる日本国内の警察のような組織は、地球単位では無い。

だからとても難しい、これが僕らの今。

つらつらと書き続けましたが、
歴史の積み重ねの先にある今というこの瞬間に、僕は政治家をやらせていただいています。

まだまだ僕の力なんてちっぽけすぎて大した影響力は持てません。
でも、日本と世界が重ねてきた歴史を切り捨てず、日本人として日本と世界と向き合い続け、
イデオロギー的な対立があっても前向きな議論と行動がとれるような新しい政治を、もっともっとちゃんとつくっていきたい。

夢みたいな話、「甘すぎる!」と馬鹿にされようと、どうせ命懸けるならそのくらいは目指し続けます。

そんなことを嶺北忠霊塔での数分から思わせてもらった78年目の終戦の日。

福井県議会議員・ふくいの党
山岸 みつる

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