みなさん、こんにちは。
山岸充(みつる)です。前回読んでくださった続きを書きたいと思います。
前回の投稿はこちらです→『父の死が生きる基盤 山岸みつる(30歳)地域事業家です①』
父の死で私の中に落とし込まれた“責任感”というもの。私はこの責任というものをどこか甘く考えたまま生きていたことに気付きました。
大学在学時にまちづくりの活動も経験し、「社会をよくするために」という今思えば浅はかで“責任感のない責任”を身にまとっていた私は外務省を志望しました。最終面接32名まで残るも最後に声がかかることはなかったんです。
最終面接の際、面接官の方にこう言われました。
「僕らは裸の山岸くんがみたい」
私はありのままの私自身を面接で伝えていたつもりだったので、この言葉の意味がわかりませんでした。外務省に入れなかった私は就活を重ねるなかである会社の社長にこう言われます。
「君は自分をつくっているだけ。相手の言っていることをかわしながら何かをやろうとするのではなくて、相手にぶつかっていかなければいけない。よいコマにはなれるけどコマ以上にはなれないよ」
自分自身で気付きながらもずっと目を背けていた私の弱さ。その弱さめがけて投げ込まれたその直球すぎるほどの直球にショックを受けたと同時に、あの“責任感のない責任”が私の弱さをつくりあげていたことに気づいたんです。
クラスではいつもまとめ役。“責任感のない責任”というものを身にまとっていた私は、事を綺麗におさめるために、一番上にある薄い膜のような責任を守るために
人に隙をみせちゃいけない
人に心配をかけてはいけない
弱音を吐いちゃいけない
負けちゃいけない
完璧じゃなきゃいけない
そうやって上塗りした無責任の責任の中で私は生きていて、なにかがある度にその弱さが顔を出していたんです。
すべてを見抜かれていた私の中身。ショックと悔しさと、父からの“責任”を違うものとして受け止め使っていた私は、これが意識を変えるきっかけになったんです。
すぐにはできなかった。できなかったんですが、自分自身の弱さを認め曝け出し、相手に魂でぶつかっていく。
少しずつ、少しずつですが私の周りの世界が変わっていくような気がしたんです。
今回はここまでです。読んでくださりありがとうございます!
「全員主役」の地域経済と教育をつくる。
山岸(やまぎし)みつる
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