近年私は毎年終戦の日に「嶺北忠霊場」(鯖江市水落町)に訪れ、忠霊塔の前で静かに手を合わせています。
ここには25,165人の福井県関連の戦没者が祀られています。
今年もこの日がやってきました。
手を合わせながら先人たちへの感謝とともに、たくさんのことを感じ考えました。
その一部を少しだけ…。
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「戦争」を起こさずに課題・問題を対処していくことは、当たり前のようで人類が実現できていない究極の課題なんだろうと、改めて思います。
80年間、日本は確かに直接的には戦争に巻き込まれていません。
しかし、だからといって日本が戦争と決別できたなどと捉えるべきではないと思います。
たかだか80年です。
しかも、アメリカの核の傘というものも含めての80年です。
そして80年前の先人たちだって、そもそも戦争をしたくてしていたわけではありません。
せざるを得ない状況に巻き込まれていったのだと、私は自身の歴史の勉強の中では認識しています。
それは日本が被害者なんだと単に言いたいわけではなく、関係各国も日本もすべて含めてそれぞれがしてきた様々な判断の総合的な結果として80年前の戦争は起きて、世界全体では数千万人の「大切な愛する誰か」の命が消えていったのです。
だからどの国にも責任があり、そしてどの国も被害者でもあるのが実際のところだと思います。
世界では今も戦争は起き続けています。そのような中で
「戦争反対」
という言葉だけでは済まないこの人類の究極の課題。
私たちは常に向き合い続けなければいけません。
臭いものに蓋をせず、現実に存在する
「核兵器」
「日米安全保障条約」
「集団的自衛権」
など挙げればきりがない正直話したくないような難題について、議論と対話をし続けなければいけません。
「戦争」の観点で日本や世界のこれまでを考えたときに人類は進歩しているのか後退しているのか、正直わからなくなるときがあります。
しかし人類が人類として続いていく限り、人類のみが獲得している能力
「相手と対話をして高度な意思疎通をすること」
「相手の状況や気持ちを想像すること」
これら2つの可能性に賭けて模索し続けるしかないのだと思います。
その模索の中で現時点で人類が発見した手法の一つ「民主制(民主主義)」について、
かつて英国首相のチャーチルは
「民主制は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」
という言葉を残しました。
私自身その通りだと思う一方で、民主制をもっとマシに機能させる可能性に、「対話」の可能性に賭けていきたいと思います。
引き続き、戦争で命を落とした先人たちの犠牲を決して無駄にしないように
「誰も理不尽な暴力の犠牲になることのない日本・世界」
への果てない模索に人生を懸けていきます。
福井県議会議員・ふくいの党
山岸 みつる
#終戦の日
#第二次世界大戦
#太平洋戦争
#大東亜戦争

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